ひつじぐもの空の陽に。




すとれい・しーぷ




 たかく蒼い空に、ひつじぐもがふわりと飛んでいる。

 やわらかく捲く風に手を伸ばして、たとえばねえ、きみは何を想うの。
 






「―――あのな。なんつーか、貰いものしておいて何なんだけどな。もうちょっとこう、性別と年齢を考えたものはなかったのか……」

 無造作に無邪気に大真面目に持たされたソレに、一条は半端に肩を落とした。
 さらさらとカーテンを透かす零れ陽に、その贈り主が不機嫌も露わに眉を顰める。
「要らなきゃ返せ。」
 端的できっぱりとした物言いに、彼が彼なりに考えた結果のコレなのだと解る。解るが。


「………………だからって、ハタチ過ぎた男の誕生日にひつじのぬいぐるみはないだろう……」


 それもこんな、クッションにできそうなサイズの。しかもご丁寧に、蒼いリボンまで首に結んだひつじは。
 さすがにないだろう。
 もふもふと、雲色(くもいろ)のひつじをてのひらで撫ぜながら呻くと、贈り主の氷野(ひの)は舌打をした。
「……やっぱおまえにやるんじゃなかった。買いに行って損した」
「って、買いに行ったのか?お前が?自分で?」
 三段階で語尾が上がった。何が悪い、とばかりの勢いで尊大に肯く氷野を、一条は思わず正面から凝視する。

 そもそも、このもこもこしたひつじを一条が持っているのはおかしいが、氷野が持っている姿はもっとおかしかった。
 まっしろなひつじ。そらいろのリボン。それに氷野。
 ……どう考えても、おかしい。きっぱりと。

「はあ、お前が自分で買いに、ね……」
 それもまた珍しいと、一条は改めてひつじを眺める。
 何処かとがった印象の氷野と、白いひつじ。さかしまというより、鏡映しの様だ。
「なんでまた、ひつじなんだ?」
 氷野とは10年以上続く腐れ縁だが、未だにその思考回路はさっぱり解明できない。首を傾げると、相手は苦々しい表情でふいと視線を反らした。
「べつに。意味なんか無い」
 それは嘘だろう、と思う。
 氷野は幼いころから、彼なりの論理でだけ動く人間だった。彼なりの、であるので、他人には大抵理解されないが、そこに理由がないことはない。
 しかし、どんな理由があるというのか。似合う似合わないや好き嫌いではないだろう。彼がひとにものをあげるとしたら、基本的には「使えるもの」だ。たとえばそう、時計だとか。金属のイメージだ。
 すくなくとも、ひつじじゃない。絶対に。
「お前がこれを買うトコを見たかったなぁ俺」
「…………一条。返せソレ」
 普段から仏頂面の相手が、とうとう本格的に機嫌を損ねかけていると見て取って、一条は苦笑した。
 それほど感情的な性質ではないのに、氷野は幼馴染の一条に対してだけ、非常に短気だ。
「悪い悪い。ちょっと予想外だったからさ……ああでも、そう言えばお前、ひつじ好きだったよな、何気無く」
 こどもの頃のことが記憶に引っ掛かって、一条は深い意味も無く言った。
 はじめて逢ったとき、そう言えば彼はこんな―――これよりサイズは小さかったが―――ひつじのぬいぐるみを連れていた。
 親に貰ったものだったのだろう。持っていた、とか抱えていた、とか言うより、連れていた、という言葉が似合うくらい、それは彼に馴染んでいたことを憶えている。その当時から氷野は大人びた仏頂面のこどもだったのだけれど。
「べつに……好きなわけじゃない。ただ、おまえにやるならひつじだと思っただけだ」
「……なんだそりゃ」
「解らないんなら別に良い。もう帰れおまえ」
 追い払う仕草をされた。
「帰れってお前、コレそのまま持って帰れって……」
「嫌なら置いてけ」
 凶悪な目つきで睨まれて、一条は首を竦めた。苦笑いをして軽い口調で謝る。氷野は不快げな顔つきのまま、冷めかけた珈琲を飲んだ。
 






 窓の空がたかい。ふわふわ、ぽっかり、と幾つも浮かぶひつじぐもが、何だか迷子の様で。
 もこもこと、雲をかためた様な手触りのひつじを触りながら、一条はその意味を考える。

 氷野のひつじ。今はもう、さすがに持っていないのだろうけれど。
 






「―――……、じゃないか」


 ぼそ、と、濃過ぎた珈琲を不味そうに飲みながら、氷野が何か呟いた。通常よりも4割増しくらい険悪に放られた低い声は、残念ながら一条に届かない。
「何か言ったか?」
 訊き返すと、氷野はますます眉間に皺を寄せた。一瞬だけ、理不尽そうにその眼が歪む。氷野は、もうすこしやわらかく笑えばそれなりに整った顔立ちを、何処か稚拙なほど揺らがせて吐き棄てた。


「だからな、ひつじってなんか、しあわせそうじゃないか、って言ったんだ」
「――――――は?」


 なんだそれは。


 口調と表情に全く似つかわしくない―――というかそれ以前の問題として、氷野の台詞とは到底思えない言葉に、一条は聴覚を疑った。
 言葉だけ取り出してみれば、まあ解らないでもない。ふんわりした白いひつじ、まるい眼のやわらかいひつじは、確かにしあわせなイメージだ。が。
 そんな憎らしげな口調で言われても、意味を図りかねる。
「……良く解らないんですけどー、氷野さーん?」
「解らないんなら別に良いって言ってるだろ」
 怪訝な心境での、遠慮がちな呟きは一蹴された。
 だけど。

 ―――こいつ、これ、怒ってなくて拗ねてないか?

 それは、幼馴染みの一条だからこそ、見憶えのある表情だった。
 拗ねている、というとこれもまた氷野には全くそぐわないのだが―――何というのか、懸命に話したことを、おとなに全く理解されなかったときのこどもの顔、と言ったら近い気がする。
 失望と諦観、のような。
 こどもの顔。
 それを眺めて、一条はふいに、理解した。  






 ひつじがいっぴき、ひつじがにひき、ひつじがさんびき。
 ねむれないのなら、かぞえていてあげる。

 だいじょうぶ、ここはとてもあたたかい。
 おやすみなさい。しあわせなゆめを、あなたに。
 






「―――あー……、そーゆうこと」

 もこもこのひつじの背中の上で、一条はぽん、と手を叩いた。
 ひつじのまるい眼が、ひかりの加減で笑って見えた。
 どうやら自分は、気づかないうちに、彼における殆ど最高の友好表現を受け取っていたものらしい。


 こどもの氷野が大事に連れていた白いひつじ。
 やわらかな、それは彼にとって多分、ひとつの記号。
 暖かい記憶。
 それは彼の、シアワセのカタチ。


 氷野がくれた、しろいひつじ、それってねえ、何を想うの。


「お前って、なんつーか、時々、こどものまんまなことするよなー」
 ふだんは自分よりよほど大人びているのにと苦笑いすると、氷野はおそろしく凶暴な半眼で、声を低めて言った。
「……だから。要らないなら、それは置いて、帰れ。即座に」
「いやいや、滅相も無い。ありがたく頂きます」
「……ふん」


 氷野の、くだらないことをした、とでも言い出しそうに顰められた眉のあたりを眺めてくつりと笑い、一条は白いひつじを撫でた。
 ふわふわなひつじのまるい眼が、すこし満足したのを無理矢理に押し殺しているような、氷野の微妙な不機嫌を映している。
 不機嫌で不器用な幼馴染みと、しあわせなひつじ。
 しあわせであって欲しいのは一条もおなじだから、彼の3ヵ月後の彼の誕生日にも、やっぱりひつじをあげることにしようと、どうしようもなく笑いながら思った。






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すとれいしーぷ=まいごのひつじ。
一周年だったので日記でこっそりリク受け付けたら、
「ひつじ」と言って下さったので、ひつじさんです(陵ちゃんありがとう〜v)
なんか可愛い話にしたかったんですけど…微妙…?

西洋だとひつじってそれこそ「迷える子羊」なんでしょうけど、
私はふわふわしたものはしあわせなイメージがあるのです。

2006.01.14 ARSTECE


















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